『政治経済、国際情勢、株価お金儲けの裏情報を分析』サイトトップ
>
楽しい幸せな過去(小学校、中学校、高校、大学時代)
スポンサードリンク
楽しい幸せな過去(小学校、中学校、高校、大学時代)を振り返って、それを上回る今がどれほど幸せで楽しいものかを実感します。楽しい幸せな過去(愛宕東小学校、愛宕中学校、旭川東高校、東京大学時代、東大中退後)2
1987年1月15日北海道旭川市豊岡で添田家の長男として生まれる。
長男としてみんなにかわいがられ、幸せの人生のスタートダッシュ。
ぼろぼろの家で日本人としては貧しい家庭だったが、食事・衛生環境に重大な問題があったわけではない。
幸せ感度が高くなるので幼少期としては非常によい環境だったと思う。
アルファベットなどを周囲が驚くほどのスピードで覚えたり、言葉をうまく使ったりと知能レベルは高かった。
両親は知能レベルを上げるような工夫をしてなかったが、自然に愛情を注いでくれたことに感謝していた。
●旭川だいいち保育園時代
貧しかったからか近くの幼稚園に通う許可が出なかったので、少し遠くの保育園に通った。
母は仕事で忙しくてなかなか迎えに来てくれないこともあった。
他の生徒が全員帰ってからしばらくして、玄関付近以外は真っ暗な保育園はなんだか非日常的で楽しかった。
自分一人ではなく、弟と一緒に待っていたので寂しくもなかった。
かわいそうに思ったのか保育園のスタッフみんなが必要以上に優しく接してくれてうれしかった。
保育園の女友達に母が「きれいだね」と褒められたときに、それを教諭室で聞いたらしい保育園の先生が飛び出してきた。
その先生はきれいな先生だったので、美を競う女性の心理をはじめて感じた。とても面白いと思った。
母の友達の娘とファーストキスをした。そのときはかわいい子で大好きだった。
風呂の扉に隠れて、何度もキスをして一度だけ親に見られた。ドラマをみて、キスをしようと思った。
●愛宕東小学校時代
愛宕東小学校に入学。入学式で楽しい気分でいっぱいの瞬間を写真に取られ、卒業アルバムに掲載された。
人見知りをして幼稚園前から中のよかった友達以外とはあまり話さなかった。
入学当初は、ゲームにはまりすぎて勉強であまりいい成績を取れなかった。
学校の勉強は特に必要なかったが、よい生き方やコミュニケーションスキルなどについてもっと学んでおけばよかった。
この後悔を通じて、よい生き方やコミュニケーションスキルについて学びたいという気持ちが強くなった。
小学校4年生になって祖父のススメで柔道を始めた。
大会で自分より体を大きい選手にびびりすぎて実力を全く発揮できなかった。
漠然とした無根拠を恐れを持つことは無意味で、勇気を持って挑戦することが大切であると知った。
小学校中学年になってから成績がよくなり始めた。小学校高学年でトップクラスになる。
家庭学習をほぼ毎日して先生に見てもらえて、褒めてもらえるのがうれしかった。
努力する方向を間違えずに、一生懸命努力を積み重ねることの大切さを知った。
最後に表彰してもらって、一生懸命努力を積み重ねることの楽しさを知った。
●愛宕中学校時代
中学校に入って野球部に入部した。小学校のときに仲良かった友達が入るといっていたから。
ただなんとなくやっていてあまりうまくなれなかったので、明確な目標を持つことの大切さを知った。
中学1年生のときは、勉強があまりできず学年で20番ぐらいだった。
中学2年生のとかから、成績が上がり始めて学年で10番ぐらいになった。
中学3年生になってからは、平均すると1,7番だった。
効率の悪いやり方でも一番を取るのは簡単だと知った。さらに賢い方法でやればほとんど努力しなくても簡単に1番を取れるとわかった。
私立の入試で一番をとり、学業給付も受けられることになった。
しかし、第一志望の旭川東校にも受かったのでそっちに通うことにした。
受験はテストに出るところだけをピンポイントで勉強すれば簡単に合格できるとなんとなくわかった。
●旭川東高校時代
入学してすぐに両足を筋力トレーニングで怪我して1ヶ月休んだ。
授業時間や集会やイベントに意味を全く見出せなかったので頻繁に学校を休んだ。
センター試験はたいして点数をとる必要がなかったので勉強しなかった。
せっかくだからものすごい高得点を取って置けばよかったと後悔した。
東大受験一日目は、時計を忘れて時間配分がうまく行かず、中途半端な成績に終わった。
二日目は得意の英語と社会だったのでほとんどの問題が解けた。
東大受験の前期日程終了後は確実に合格していたが「落ちたかもしれない」といいながら、後期の勉強に励んでいた。
卒業式にも行かなかった。
合格発表後に後期日程のために予約した飛行機を使って、品川でレーシックの手術をした。
●東京大学時代
入学式は親にどうしてもといわれたので行ったが、途中で抜けて公園を歩き回りながら音楽を聴いていた。
オリ合宿は酒を飲まずに楽しくすごした。
楽しい幸せな過去(小学校、中学校、高校、大学時代)1
1987年1月15日北海道旭川市豊岡で添田家の長男として生まれる。
長男としてみんなにかわいがられ、本当に幸せだった。
ぼろぼろの家で日本人としては貧しい家庭だったが、食事・衛生環境に重大な問題があったわけではない。
幸せの感度が高くなるので幼少期としては非常によい環境だったと思う。
アルファベットなどを周囲が驚くほどのスピードで覚えたり、言葉をうまく使ったりと知能レベルは高かった。
両親は知能レベルを上げるような工夫をしてなかったが、自然に愛情を注いでくれたことに感謝していた。
●保育園時代
保育園には貧しかったからか近くの幼稚園の代わりに通った。
母は仕事で忙しくてなかなか迎えに来てくれないこともあった。
玄関付近以外は真っ暗な保育園はなんだか非日常的で楽しかった。
自分一人ではなく、弟と一緒に待っていたので寂しくもなかった。
かわいそうに思ったのか保育園のスタッフみんなが必要以上に優しく接してくれてうれしかった。
保育園の女友達に母が「きれいだね」と褒められたときに、それを教諭室で聞いたらしい保育園の先生が飛び出してきた。
その先生はきれいな先生だったので、美を競う女性の心理をはじめて感じた。
母の友達の娘とファーストキスをした。そのときはかわいい子で大好きだった。何度もキスをして一度だけ親に見られた。
●小学校時代
小学校に入学。人見知りをして幼稚園前から中のよかった友達以外とはあまり話さなかった。
入学当初は、ゲームにはまりすぎて勉強であまりいい成績を取れなかった。
学校の勉強は特に必要なかったが、よい生き方やコミュニケーションスキルなどについてもっと学んでおけばよかった。
この後悔を通じて、よい生き方やコミュニケーションスキルについて学びたいという気持ちが強くなった。
小学校4年生になって祖父のススメで柔道を始めた。
大会で自分より体を大きい選手にびびりすぎて実力を全く発揮できなかった。
漠然とした無根拠を恐れを持つことは無意味で、勇気を持って挑戦することが大切であると知った。
小学校中学年になってから成績がよくなり始めた。小学校高学年でトップクラスになる。
家庭学習をほぼ毎日して先生に見てもらえて、褒めてもらえるのがうれしかった。
努力する方向を間違えずに、一生懸命努力を積み重ねることの大切さを知った。
最後に表彰してもらって、一生懸命努力を積み重ねることの楽しさを知った。
●中学校時代
中学校に入って野球部に入部した。小学校のときに仲良かった友達が入るといっていたから。
ただなんとなくやっていてあまりうまくなれなかったので、明確な目標を持つことの大切さを知った。
中学1年生のときは、勉強があまりできず学年で20番ぐらいだった。
中学2年生のとかから、成績が上がり始めて学年で10番ぐらいになった。
中学3年生になってからは、平均すると1,7番だった。
効率の悪いやり方でも一番を取るのは簡単だと知った。さらに賢い方法でやればほとんど努力しなくても簡単に1番を取れるとわかった。
私立の入試で一番をとり、学業給付も受けられることになった。
しかし、第一志望の旭川東校にも受かったのでそっちに通うことにした。
受験はテストに出るところだけをピンポイントで勉強すれば簡単に合格できるとなんとなくわかった。
●高校時代
入学してすぐに両足を筋力トレーニングで怪我して1ヶ月休んだ。
インターネットの未来はどうなるのでしょう?
あなたは、どんな未来のインターネットを理想としますか?
あなたは、どんな未来のインターネットを予想しますか?
僕が理想とし、実現を予定しているのは、
「世界中の人々がお互いの意見、考え方、知識を共有する場所」です。
僕は、インターネットの未来をこういう方向に変化させます。
多くの場所でのプロパガンダ、自分の意見や考え方や知識の発信を通した。
そして、自然とこの方向に変化していって欲しいとも望む。
人は、未知のものを恐れます。
お互いのことを知らないために誤解が生まれます。
こんなところから、争いが生まれたりします。
未来のインターネットは、これらの問題を解決する存在にしたい。
言語の変換ツールも開発されれば、国際的相互理解も進む。
僕も日本にいては、簡単には触れられないところにすんでいる一般人の意見や考え方を知ってみたい。
そして、自分の意見や考え方を進化させる。
インターネットは、最強の情報共有ツールだ。
未来には、感情も共有できる用になってほしい。
第一歩として、自分の意見、考え方、知識を発信する。
こういうインターネットの未来を望むことを含めて。
早速、個人ブログを作ってみたいと思います。
また、関心のあるテーマに関するブログもいくつか作成します。
これが、理想の未来のインターネットへの第一歩であると考えながら。